2019-04-19 第198回国会 衆議院 厚生労働委員会 第11号
○尾辻議員 委員御指摘のように、加害者側の身勝手かつ自己本位な思い込みや、性別に関する差別的意識などに基づいて性的な言動が行われ、それによって従業者等が精神的、身体的な苦痛を受けているという事例があると思います。
○尾辻議員 委員御指摘のように、加害者側の身勝手かつ自己本位な思い込みや、性別に関する差別的意識などに基づいて性的な言動が行われ、それによって従業者等が精神的、身体的な苦痛を受けているという事例があると思います。
加害者が、被害者の性格ならこのくらいの言動は許されるだろうなどと、身勝手な、そしてまた自己本位に思い込んで性的な言動を行い、その結果、被害者が精神的、身体的苦痛も受けるというケースが多いと考えられます。 セクハラ禁止案ではこのようなケースについても禁止の対象としているのでしょうか、お尋ねします。
そこで、委員御指摘のように、明確にこれは移籍を認めるべきだと、これは駄目だという間にいろいろな場合があるのではないかということでございますが、基本的な考え方といたしましては、その同じ実習先で実習を継続させるのが適正な技能の実習という趣旨から適当かどうかという観点、あるいは移籍を求めることが専ら本人の自己本位の都合によるものではないかなどの観点、そのような関係事実を的確に把握した上で、技能実習制度の制度趣旨
私どもは、もう一遍、やはり他人本位から自己本位へ、何物にも侵されない自己の確立、そういうことを政治家がしなければ、本当に国民の支持は得られないし、これは与党とか野党とかいう次元じゃなくて、政治家に問われている物差しなんだと思います。
○近藤(洋)委員 その自身の判断に任せれば自己本位になるからおかしいんじゃないかと言っているわけです。 そしてさらに、三菱ふそうの問題での隠ぺい体質も、すべてそういうことも含めてちゃんと国会議員が公開するという世の中をつくらないと、三菱ふそうのことを言えないということなんです。
私の半生は、すでに人の知る通りであって、多くは自分の不明から、いたずらに無用の波瀾をかさねてきたわけであるが、しかしその間、ただわずかに誇りうるものがあるとすれば、それは、いかなる場合に処しても、絶対に自己本位に行動しなかったという一事である。 子どもの時から今まで、一貫して、どんなにつまらない仕事をあてがわれた時にも、その仕事を本位として決して自分に重きを置かなかった。
個人の尊厳の本来の意味は、自己本位で物事を判断する利己主義と公の名のもとに個人を不当に抑圧する全体主義を排除し、国民の一人一人を独立した人格者と認めて、真に国民主権を実現することであります。 六十数億の人間は、それぞれ異なる存在で、永遠の時を今に生きる動物であります。
そういう意味では、私は、改めてそれぞれの皆さん方が、まず自分が購入したときにどうするかという、その安全性と確実性というものもぜひ考えながら、ただ楽しむだけのためにという自己本位ではなくて、総合レジャーとしての位置づけと、そして認識と、そういうものをぜひ持っていただいて、まさにレジャーの華となるような施策というものも指導しながらやっていきたいと思っております。
自己本位、すなわち独立自尊の精神を失い、拝金主義に流れる近代日本の姿を想像しては、精神の荒廃を予測し嘆いていたのであります。新世紀を迎えた今日の日本の姿は、漱石の危惧そのままではないかと私は思っているのです。 この国の流れを変えなくてはなりません。
そして一番理想はいわゆるカリスマ主婦、栗原はるみでありますとか、三浦りさ子でありますとか、そういう人になりたいというふうな非常に自己本位な欲望を持っております。それが余りに自己本位なので、実現できる人が非常に少ないということです。
このような顧客本位ではなくて自己本位の貸し付け姿勢というものが問題にされ、国会でもこの二年間議論されたことは御承知のとおりです。 そこでお伺いしますけれども、この貸し渋り現象の一つの大きな理由、景気のいいときにはどんどん貸し過ぎる、景気が悪くなると貸し渋るという一つの理由は、日本の銀行が株式を持ち過ぎているという体質にも一つの原因があるのではないかと思います。
個人の尊厳ということは、自己本位、わがままと言われたりします。しかし、私は、他の人が困っているのにそれを平気で見過ごすことこそ自己本位だというふうに考えます。どうしてそこで済みを感じないのか。 お手元に黄色の小さなパンフレットがあると思います。「いつまで待てばいいの? 民法改正を望むひとこと集」です。例えば七ページ目を見てくださいませ。
こういうものは、当然、関係者がそういう資源を将来的にしっかりと保全管理していくという前提で、お互いに自己管理しながらこの制度を運用していくということになろうかと思うんですけれども、ただ、今の対中国、対韓国というようなことがなかなか問題が解決しないと、割と自己本位に物事が動いていくという危険性があるんではないかというふうに私は思うんです。
ただ同時に、やはりその中において、企業がと先ほどから何回かお述べになりましたけれども、その企業という言葉にあらわされる集団の中で私は自己本位な行動がなかったとも、これは言えないと思います。 こうしたことを考えてまいりますと、いわば性善説といっては語弊があるかもしれませんけれども、例えば証券市場について保護育成という姿勢をとってまいった、それが長く続き過ぎた。
アメリカの情報によれば、日本の青少年の自己本位、エチケットの欠如等が原因で、今後、日本人の受入れを断られる事例が起きつつあるとのことである。」「つぎに、受け入れる側(主としてアメリカ)としては、受入れ家庭確保の困難性について、つぎの原因を挙げている。①両親がそろっている家庭の減少、②共稼ぎ家庭の増加、③生活の多様化による時間の欠如、④若い世代のボランティア精神の変容等。」
この現実を日本のいわゆるサラリーマンは、もう何とも形容しがたいと、企業に対する帰属観念もなければ、いかにも自己本位だというような見方をつい我々日本人はしてしまうというような話も見聞しましたけれども、あるいはまたその他有給休暇の先ほどありましたような取得状況とか、いろんな理由があって今日欧米との大きな格差があるんじゃないだろうかな。
こういう問題意識でございまして、後でお読みいただければいいのですが、二日間連続で長距離運転を強いた運送会社の管理体制の問題でありますとか、あるいは家庭内の不和の問題だとか、他人への気配りや思いやりを失っている自己本位の精神構造、言うところのミーイズムというようなものについてまで立ち至らなければ事故の発生はこれ以上防げないのではないかという問題提起をやっているのです。
そして、相互依存がますます深まっておる今日の国際社会におきましては、従来にも増して自国の利益のみを追求するという自己本位な行動は許されません。我が国としましては、各国と互いに痛みを分かち合いながら、国際社会の中でともに長期的な繁栄を確保していくように努力すべきであると考えております。
いずれにしても口先だけの平和、口先だけの人権尊重といっても、これはややもすると自己本位な自己満足、これは戦前の日本というものが、私はいろいろな意味で一番反省すべきことは、言うなれば余りにも自分の殻に閉じこもって、自分たちだけが正しいんだと、国際連盟から脱退しても拍手喝采、我々は子供でございましたけれども、そういう気分が横溢しておった。
また、その中で、子供も含め親も教師も、その多くは自己本位に陥り、教育がゆがめられております。 いずれにいたしましても、教育は一人一人の可能性を開き、人間としての成長を支え、促進する営みであります。また、教育の事業は、当面の効果と大きな展望が必要なことは言うまでもありません。
それまでの日本の社会保障法制は日本に住所を有する日本国民を相手に社会保障をする、こういう法制をずっと維持してきたのですけれども、この法制は考えてみると大変自己本位というのか、日本にとっては極めて国際的な協調に反する制度だと思うのです。
日本の輸出ドライブあるいは貿易立国ということでありますけれども、それが極端な自己本位になると、日本文明と外国文明との摩擦というような形で出てくるのではないかというふうに江崎さんは言っておるわけですけれども、これが現在の日本の貿易摩擦の一つの側面をとらえているものではないかと思うわけです。 それから、なお、江崎さんはこういうこと直言っておるわけです。